「ファイ、海へ行かないか」
セオと出来立ての薬草園をいじっていると、よれよれになったセレスが窓から顔を覗かせた。
つい先ほどまで書類の山と格闘していたのだろう。
今年の強烈な日照りと雨量不足による領内の農作被害は甚大で、その解決に追われているのだ。
ファイの記憶が正しければ、セレスは3日前から一睡もしていないはずだ。
食事だけは、シェフと協力して無理やり食べさせているが、
放っておくと不眠不休の絶食状態で稼働し続けるから危険な事この上ない。

土で汚れた手袋を外しながら「海?」と訊ね、窓辺に近づいて彼の衣服や頭髪を整えた。
それが終わると、セレスもハンカチを出してファイの額の汗をぬぐった。
彼女もまた、強烈な日差しの中、
唯一の使用人であるセオが見かねて手を貸すほど長い間、作業に勤しんでいた。

「ああ。先月セレンが療の国へ魔物の生態調査に行っていただろう。
その時静かな浜辺に陣を繋げたんだそうだ。
日が落ちた頃に行こうと思うんだが、都合は付きそうか?」

「私は大丈夫だけど、セレスはゆっくり休んだほうが良いんじゃないの?」

「それまで仮眠をとるさ。セオ、ファイの作業が終わったら起こしてほしい。」

セオは『かしこまりました』とセレスに向けて一礼した。
「頼んだぞ」と言い置いて、セレスは猫背気味にゆったりした足取りで窓辺から離れて行った。
完全に疲労困憊している時の歩き方だ。

「セオ、後はもう一人でやるから、セレスのお世話してあげて」

必死な顔で振り向くと、セオは苦笑しながら頷いた。

――――― ――――― ―――――

「お待たせしました」

「いや、大丈夫だ。そう待ってはいない。」

軽い入浴と着替えを終えたファイが顔を出すと、
また書類をさばいていたセレスがペンを置き、席を立って振り向いた。

「お馴染みの格好だな」

苦笑され、ファイはキョトンとした顔で白いローブの裾をつまんでぴらりと持ち上げた。

「魔物の調査に行った夜の海辺って聞いてたから、
何かあってもすぐ対応できる格好が最適だと思ったんだけど・・・」

ファイの真面目な回答に、セレスは声をたてて笑った。

「な、なに?」

「いや、何も問題はないんだ。君は本当に頼もしいな。」

「なんか含みを感じる・・・」

「気のせいだ。さぁ、行こう。」

「うん」

並んで歩き出した二人は、主がいないセレンの部屋の扉を開け、
転送陣をくぐって療の国の海辺へ跳んだ。

海辺独特の風に迎えられ、二人同時にすぅっと大きく息を吸う。
動作がかぶったのが可笑しくて、また二人同時にくすりと笑った。
そして波音に近づくべく、足跡を残しながら砂浜を横切った。

水際までたどり着くと、ファイは両腕を広げて大きく息を吸い、
胸いっぱいに潮の香を吸い込んだ。
ゆっくりと息を吐き出しながら上空を見上げ、大きな歓声を上げた。

「降ってきそう!」

街あかりが遠いためか、夜空に浮かぶ星々の光は鮮明で、
満天に広がるそれは彼女の言う通り、今にも降ってきそうな存在感を持っていた。
つられるように見上げたセレスも、見事な星空に感嘆の声を漏らした。

「晴れているとこうも明るいのか」

「来たことあるの?」

「ああ。一度下見に来ている。
その時周囲に魔物除けの結界を張ったから、もっと気安い格好で良かったんだ。」

「な、なんでそれを最初に言ってくれなかったのっ」

「では逆に聞くが、君は俺が君を危険のある場所に連れて行くと思ったのか?」

からかうように訊ねると、ファイは途端に困った顔になって目をそらした。

「だって、セレスすごく疲れてたし。
何かあったら私がしっかりしなきゃと思って・・・あぁー・・・
もっとかわいい服着てくればよかったぁ・・・」

ファイが情けない顔でへにゃりとしゃがみ込んでしまったので、
セレスは可笑しそうに笑いながら彼女の頭を優しくなでた。

「また来ればいいじゃないか。
日中に来れば、海に入って泳げもするだろう。」

「きわどい水着が見たい?」

「着たいものを着ればいいと思うが、
あまり俺を誘惑して後悔しても知らないぞ。」

「? ・・・あ。 ばっ ばかぁあっ」

赤面したファイは頭をなでるセレスの手をおしのけ、たてた膝に勢いよく突っ伏した。
しかし長い耳の先まで朱に染まっているので、顔を隠してもその表情は容易に想像できる。
微笑ましくて思わずくすくす笑っていると、「笑わないでっ」と必死な声が飛んできた。

「ああ、すまない。
そろそろメインイベントに移ろう。」

「メインイベント?」

セレスはちらりと半分だけ顔を上げたファイに笑いかけ、宙にくるりと円を描いた。
円はひとりでに大きく広がって一度明滅し、消えた後には半透明の小舟が現れていた。

「小さい船。これを浮かべて遊ぶの?」

「いや、これの船室部分に明かりを灯して海に流すんだ。」

「えっ 流しちゃうの?」

ファイは「良くできてるのに」と残念そうに小舟を持ち上げ、興味深そうに造りを観察し始めた。
そして船室の屋根が蓋のようにパカリと開くことを発見し、「おぉ!」と素直な歓声を上げた。
セレスは微笑ましそうに笑いながら説明を続けた。

「"灯篭"と言うらしい。以前面会した鍛の使者が、
彼らはこの時機になると、死者を弔うために灯篭を流すのだと話していたんだ。」

「そっか。あっちの人は海が冥界に繋がってるって信じてるんだっけ。」

「そうらしいな。
灯りをつけた灯篭が一斉に水面を滑る様が実に見事だと、とても得意げだった。」

「・・・ん? でも鍛って岳の領地だよね。」

「そうだ。あそこは政治体制が変わってから、視野の広い者が最高権力者になってな。
今はまだお互いを探り合っている段階だが、いずれ大きな変化があるだろう。」

「そうなんだ・・・」

セレスは不安そうな顔をするファイの手からひょいと灯篭を取り上げ、
船室に見立てられた部分にぽっと魔力の光を灯して笑いかけた。
手を差し出すと、ファイは外したままだった屋根を慌てて差し出した。
受け取った屋根を灯篭にかぶせると、
明かりが閉じ込められて船体がふわりと明るさを増した。

「きれー」

「流すぞ?」

「あ、はい」

海水に足首まで浸かり、セレスはそっと灯篭を水面に浮かべた。
灯篭は初めて触れる波に戸惑うるように、ゆらゆらと揺れた。

「タウ=イーリィとエイシャ=イーリィの魂が、永久に安らかならんことを。」

「え」

頼りなく揺れていた灯篭は、セレスの弔いの言葉に後押しされるように、
波が引くたびに少しずつ、だが順調に沖へと進んでいった。

驚いてセレスの顔を見上げたファイは、静かに黙祷を続ける横顔に促され、
自身も手を組んで流れていく灯篭に弔いを乗せた。
目に見えないものを乗せた灯篭は、海面を柔らかく照らしながら、
ゆったりと前後に揺れながら、緩やかに進んでいく。

「・・・両親を弔ったの、今のが初めて。」

声に引っ張られるようにしてファイの横顔を見下ろすと、
彼女は随分と遠くまで流れた灯りを、どこかぼんやりと見つめていた。

「墓標がないのは、ずっと以前に聞く折があったからな。
どうやって君との婚姻を報告しようかと、ずっと悩んでいた。
・・・余計な事をしただろうか。」

ファイは目を伏せ、ゆっくりと首を振った。
そしておずおずと腕を動かし、セレスの袖を控えめに掴んだ。

「ちょっと、不安になっただけ」

「そんな腹の内が黒そうな男はやめておけと言われるのがか?」

務めて明るい調子で尋ねると、ファイは小さく苦笑し、首を振って否定した。

「いいのかなって」

自分だけのうのうと、望む相手の隣へ居座り続けて良いのかと。
二人の死の原因を作った自分に、果たして彼らを両親と呼ぶ資格があるのだろうかと。
考えることから逃れるために意識の奥に追いやり続けた結果、
もう彼らの顔も声も、思い出せなくなっていた。
今目の前で胡坐をかいて座っているのは、拭いようのない罪悪感の権化だ。

セレスは少し血の気の引いた彼女の頬にそっと手を添え、控えめな声で名前を呼んだ。
のろのろと持ち上げられた視線をとらえ、なるべく柔らかく微笑みかけた。

「傍に居てくれないか。 君が居ないと、強くなれない。」

眼を見開いた彼女に口づけようと頤を引き寄せる。
だが、ファイはセレスの口元を手でふさぎ、俯いて肩を震わせ始めた。

「・・・ファイ?」

「・・・ふっ・・・くくっ・・・・」

「笑っているのか」

「あはは、ごめん。だってセレスすごいんだもん。」

先程とは一変して、体を折ってけたけたと笑い出したファイは、
さすがに困った表情をしているセレスに笑いながら幾度も謝り、
笑いが落ち着いたところでまた謝った。

「セレスはすごいなぁ。領地、領民、国、国民。
屋敷のみんなやよその国のことも考えてるのに、こんなに私に気を遣ってくれる。」

「気を遣っているつもりはないが・・・」

「往生際が悪いなぁ」

言いながら、ファイはブーツの紐を解いて脱ぎ捨て、
ローブとスカートの裾をひとまとめに掴んで持ち上げると、水飛沫を上げながら波の中に踏み込んだ。
ばしゃばしゃと水音をたてながら、どんどん先へ進んでいく。

「ファイ、それ以上は危ない」

腰まで海水に浸かったところで、ファイは歩みを止めた。
たくし上げた衣服も、もうぐっしょりと濡れている。
灯篭が流れて行った方角をまっすぐに見据え、肺一派に空気を吸い込んだ。

「タウ=イーリィとエイシャ=イーリィの魂が、永久に安らかならんことを!」

大声で叫んで、よし気が済んだとばかりに勢いよく振り向くと、
自害してしまうのではと慌てて後を追いかけてきたセレスと目が合った。
常に微笑か苦笑を浮かべている彼が、何事かと眼を見開いていたので、物珍しさにまた少し笑った。

「私が悩んでいるとただでさえ忙しいセレスの心労がまたさらに増えるので、
こういうセンチな事で情けなく悩むのはやめることにしました。」

「情けなくは・・・」

「セレスが一緒に居ていいって言ってくれてるんだから、大人しく居ればいいのよね。
周りにダメ出しされたらもうされないように、私がもっと相応しくなればいいんだし。」

「いや、どうしたのか知らないが君はそのままで・・・」

「うりゃぁッ」

「!?」

ばしゃりと海水を跳ね上げ、セレスが怯んだ隙に彼の腕に抱き着いた。

「ファイ?」

「セレスとセレンがお父さんとものすっごく険悪で、
屋敷が少数精鋭なのも挙式が延期になったのもそのせいだって、私気づいてます。」

「・・・」

「今年の日照りと雨量不足で農作被害が甚大なのも知ってるんです。
だから税率大幅に下げて我が家の収入が激減してるのも承知してます。
鍛から使者が来て様子を探り合ってるってことは、戦争になるってことだってことくらいわかります。
捌州と玖州が肆州みたいな状態になっているのも気づいてます。
こっちの不作に付け込んで峰の国が関税引き上げてるのも気づいてます。
今栽培してる薬草はセレンが宰相様からの依頼で開発してる、
流行が予想される伝染病の予防薬の原料だってこともちゃーんと知ってる。
それの成功にセレンの出世がかかってるのにも気づいてる。
ちょいちょい刺客が来ることも、二人がたまにやり返したりしてるのもわかってる。」

「・・・」

「セレンは、私の得意分野は私に任せてくれます。
でもセレスは全ッッッ然、頼ってくれない。話してもくれない。むしろ隠す。めっちゃ隠す。
つついても『君は何も心配しなくていい』とか言う。
そのたびに、私はなんって頼りないんだろう、使えないんだろうって。
足引っ張るばっかりで本当に隣に居て良いのか不安だなぁーっと落ち込んだ回数なんて数えきれません。」

「そ・・・」

「しかし!それも今日までのこと。
落ち込む暇があったら精進すればいいだけのこと。
頼られないなら嫌でも頼りたくなるくらい頼り甲斐を身に着ければいいだけのことっ!」

「・・・ファイ、やけになっていないか?」

「大真面目です!」

キッと睨み上げると、セレスは小さく喉を鳴らして上半身をそらし、自由になる方の腕をあげて降参を示した。
ファイはしがみついていた腕を放し、今度はセレスの腰に腕を回した。
ギュッと抱き着いて、胸元に顔をうずめる。戸惑い気味に伸びてきた手が、乱れた髪を優しく梳いた。

「・・・私だって、セレスが居れば強くなれるんだから。」

髪を梳いていた手が、ぴたりと止まった。

「流石リートミュラー公爵の嫁だって、尊敬されるようになるから。」

「・・・なら、マナーとダンスのレッスンから始めて見るか?」

「・・・つ、強くなるとは言いましたが、上品になるとは一言も・・・」

「ふっ ははははっ」

「あ、やる!やります!マスターします!!」

「あはは、本当に君は」

セレスは楽しそうに笑いながら、
手を上げて「やります!」と叫んでいたファイをぐっと強く腕の中に閉じ込めた。

「とっくに俺の、自慢の伴侶だ」





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セレスED後のお話しです。
あんまりにも台詞だらけで文章として弱いところが丸見えですが、灯篭を流すことが出来て満足です。無理やりですが。
私的にセレスは大事にしすぎて蔑ろにしてしまうタイプです。頼りになるとか言いつつほとんど頼りません。
囲って守って遠ざけて、安全地帯から一歩も出ず、万が一にも少しの擦り傷さえ作らないでほしい感じ。
完全に育った環境のせいですね。ファイがわりとパワフルなので、バランスが取れてます。

ちょっと無駄にキャラを語ってしまってますね。このあたりで黙りましょう。
皆様どうか良いお盆をお過ごしください。
――――― ――――― ―――――
P.S.

「そう言えばあの灯篭ってどこで手に入れたの?」

「あれはシェフに作らせたんだ。
主原料はゼラチンだから、今頃海の養分になっているだろう。」

「環境にまで配慮していたなんて・・・セレス、恐ろしい子。」

「シェフの技術も褒めてやってくれ」
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