ざくり、と。踏みしめるたびに心地の良い音がする。
霜柱が存在を主張する柳月の朝、アレスはよく整備された墓地に居た。

吐く息は白く、ゆるやかに吹き抜ける風は刺すように冷たい。
葉が落ち枝がむき出しになった木々はか細く、霜に染められた地面に頼りなく佇んでいる。

姿勢の良い、だがゆっくりとした足取りで目的の場所にたどり着き、白い息を吐き出す。
ここに来るのは、リートミュラー邸から帰還し、顛末の報告をして以来だ。

「お久しぶりです、ブランシャール卿」

白灰色の空の下、鉛色の墓標に最敬礼をとる。

今日は、父の命日だ。

持参した上物のワインをボトルごと供え、マントの裾で墓標の霜をふき取る。
長々と丁寧に掘られた賛美の文句が良く見えるようになり、
また父の生前の偉業と人望に少し気圧されそうになる。

物心がつく以前から、ずっと父の背中を追って来た。
剣の扱い、盾の扱い、鎧の選び方、装備の手入れの仕方、馬術、礼儀作法、読み書き、
騎士としての心構えから炊事洗濯に至るまで、ありとあらゆることを父から学んだ。
彼は記憶にある限り常に正しく、約束を違えず、信念に忠実で誇り高く強かで、自らに厳しく、他者に優しかった。
憧れ、尊敬し、敬愛し、こうあるべきと目指し続けた人物だった。

そんな師が迎えた凄惨な最期。
七光りで受け継いだ称号は、如何な鎧よりもなお重たく、息苦しかった。

だがそんな重圧も、書類に圧殺されかける毎日の中で徐々に霞んで行きつつあった。

新しく赴任してきた若き領主は、幼げな外見からは想像できない元軍人らしい鋭い強引さをもっており、
方々に居座っている前領主、ひいては前州大公の支援者や共犯者達を次々に摘発していっている。
その働きぶりは目覚ましく頼もしいのだが、一方で書類仕事が大層不得手且つ嫌いであり、
領主らしい細々とした制度の修正や案件の処理などは何かと理由を付けてアレスに押し付けてくる。
おかげでアレスはこの半年ほどで、すっかり書類処理のエキスパートになってしまった。
領地の中を歩けば、あらゆることが数値で見えるし、
改善案やそれを実行したときに出てくる問題が勝手に脳裏を走り回る。
これではどちらが領主だかわかったものではない。

トレードマークと言えた鎧も身に着ける機会がめっきりと減り、
鍛錬をする暇もないので身体もずいぶん鈍ってきている。
ただ利き腕の、特に手首から先だけは、以前よりも格段に俊敏さを増していた。

「来年ご挨拶に伺う際には、文官に転職した旨をお知らせせねばならぬやもしれません」

ため息交じりにつぶやき、北風に煽られた髪を顔から払う。
以前は短く切り揃えていたが、
まめに切らねばあっという間に眼にはかかるがくくるには短すぎる半端な長さになってしまう事に気づき、
その時間が確保できないアレスは以降切るのを諦めて後ろで一まとめにしている。
散髪に行けるような余暇が出来たなら、それは軒並み睡眠時間へと変換されるのだ。明日を生きるために。

師の声を聞くことが出来たなら、はてさて如何な苦言が耳を刺してくるだろう。
それとも人民のためになることをしているのならばと、寛容に受け入れられるだろうか。

例え受け入れられなくても、それで彼女より長生きできる確率が高まるなら、それでもいい気がする。
想いが通じたとはいえ、現状では文通をしているだけなので先走りすぎな思考だが、
夫を喪って悲嘆にくれ痩せ衰えていく母を見て、自分は伴侶を看取る側でありたいと強く思うようになっていた。

風で乾いた隈の濃い目元こすり、幾度か瞬きして白いものを落とし始めた空を見上げた。
ひらひらと舞い落ちる氷の花弁は脆く、アレスの身に落ちた傍から水滴に姿を変えていく。
この分なら積もることはないだろう。

「貴方はどこまで行っても、騎士でありすぎたように思います」

上空を見上げたまま、アレスは平坦な声で続けた。

「貴方に教わった物事を、私は生涯大切に抱えて生きていきます。
しかし以降、貴方を・・・国家と信念に忠義を尽くす騎士を目指すことはしないでしょう。」

ならば何を目指すかと言うと、まだ漠然としていて、そして気恥ずかしいので口には出せない。
ただ、父はアレスにとって常に師であり、父と思えるほど近くに感じたことはなかったから。

考え始めると段々恥ずかしくなり、誰もいないのに逃げるように視線を泳がせた。

ひとしきり不審な挙動を続け、やがて思い切りの良い動作で、今一度墓標に最敬礼をとった。
そして頭を下げたまま、「次に伺うのは、私の生誕の日。心に決めた女性と共に。」と、硬い声音で言い切った。
勢いよく顔を上げ、背筋を伸ばして墓標に刻まれた偉大な名をまっすぐに見る。

「ありがとうございました」

くるりと踵を返し、来た道を戻る。
すると前方から、見慣れた姿が走って来た。新しい領主の秘書官だ。
彼はアレスに追いつくや否や、留守にしていた半時ほどの間にこんなに書類が増えただとか、
この忙しい時期に一体何を考えているんだとか、ちゃんと仕事してくれないと困るだとか、
どう考えてもそれは領主に言うべき事柄だと言いたくなるようなことを早口でまくし立てた。

アレスは言いたいことをぐっと堪え、
一言「わかった」と応じて秘書官の小言を聞きながら領主の館へ歩を進めた。
結月の末までに、数日の休暇をもぎ取れるほど仕事を片づけてやろうではないかと、心に強く誓いながら。



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アレスED後のアレスでお墓参り。時期的にはおまけSS2「おくりもの」の後です。
お誕生日をファイとゆっくり過ごすために頑張っています。頑張りすぎています。
日に日に騎士からサビ残が当然の社畜みたいに変貌していくアレス。
当人比大分すれて来ているのですが、戦闘しなければ長生きできそうだと言う甘い考えはどうにも彼らしいところです。
世の中には過労死というものがあるのだと、誰か早く教えてあげてください。

ここまで読んでくださってありがとうございます。
皆様どうか良いお盆をお過ごしください。
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