「入りたまえ」

許しを得て扉を開き、品の良い調度品に彩られた部屋に入る。

開け放たれた窓辺には、久方ぶりに見る、愛しい人の背中。

彼女が愛用する機織りには、織りかけの反物。
しかし白く整った指先が続きを織ろうとする気配はなく、
常に閉じられ色の知れない双眸は、遠い下界を眺めているようだ。

彼女の思考を邪魔せぬよう、静かに扉を閉め、足音を消して近づく。
一歩後ろから彼女の真似をするように下界を臨み、
驚かせぬよう、しなやかな背にそっと手を添えた。

「牽牛や、そなたならばなんと綴るね?」

何のことかと首をかしげると、気配を察した彼女はくすりと笑い、
いつもと同じ柔らかく落ち着いた声音で答えた。

「下界の皆が短冊に願いを綴っているのだ。
裁縫や書道の上達を願う行事であるのに、その内容は実に様々。
恋愛成就や合格祈願、日常のささやかな幸福、とびきりの幸運、他者の不幸。」

背に添えられた手に軽く体を預けるようにして、彼女がこちらを仰いだ。
頭髪と同じ銀色のまつ毛が、白い頬に柔らかい影を落としている。

「そなたならば、なんと願うのだろう。」

問われた私は愛しい頬に額を寄せ、細いその身を腕の中に閉じ込める。
敬愛する彼女に愚問だなどとは言いたくないが、何故わからないのかともどかしくなる。
貴女の幸せ以外に、一体何を願うと言うのだろうか。

こちらの意思を察したようで、彼女は困ったように小さく笑った。

貴女ならば何を願うのかと、手を重ねて首をかしげることで問う。
彼女は「そうだね」と言いながら、思案するように窓の外へ顔を向けた。
声の出ない私の言葉を、彼女はいつも的確に拾ってくれる。

「無二の友と、大切な弟の幸福だろうね。」

完全に予想通りだった彼女らしい答えに、ふっと笑う。
彼女のそういうところはとても好きなのだが、やはり寂しい気持ちにもなる。
私の幸福は願ってくれないのかと、拗ねたように重ねた手を引く。

彼女は可笑しそうに笑って、またこちらを仰いだ。
閉じられた瞼は愛おしいが、いつかその瞳の色が知りたいと狂おしい気持ちにさせる。

「そなたの幸福は私と共に在り続けることなのだろう。
そんな当然のことを、わざわざ願う必要などなかろう。」

ああ、ほら。
だから私は、貴女に溺れることをやめられない。

回した腕に力を込めて、白い首筋に口づけた。
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セレン・セオで織女牽牛伝説パロです。
個人的にこの二人の主従でも恋人でもしっくりこない、
なんとも言えない絶対的な信頼関係がすごく好きです。

皆さまが素敵な七夕を過ごせますように。
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